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2008年8月28日 (木)

ちょっと泣けた大和ミュージアム

広島の話に戻りますよ。なんせ600枚近く撮ってきたので。

3日目は呉市にある大和ミュージアムへ。

目玉はやっぱり、入館してすぐどーんと眼に飛び込んでくる1/10スケール!の戦艦大和。

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(EOS 40D + SIGMA 17-70mm)

入館するとすぐ、この大和の前で係員が外部大型ストロボを付けたデジタル一眼(EOS 30Dでした)と来場者が持参したカメラで記念撮影をしてくれます。係員さん撮影のは後で買うかどうか自由なわけですが、出来上がりを見たら目をつぶっちゃってて買うのはパスしました。

本物の大和は全長260m以上あったので、この大和は26m少々の長さがあるわけです。この手の博物館ではよく1~2mの模型は目にしますがこれは桁外れ。この模型は映画「男たちのYAMATO」でのCG素材に使われた、とウィキペディアに書いてありましたよ。

恐ろしく精巧に作られた模型は戦史に興味のない人でも見ていて飽きないと思います。

26mってことは学校のプールより長いのだ!

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(EOS 40D + TOKINA AT-X107 FISHEYE)

普通のレンズやコンデジでは真正面や真後ろからでないと全景を入れづらいくらいに大きいです。

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(EOS 40D + SIGMA 17-70mm、以下)

夏休み限定で、主砲をちょっと旋回させて実戦の雰囲気を出してみました、と係員のおっちゃんが教えてくれました。なので貴重なショット?

本物の主砲は口径46cm、砲身の長さは20m、砲塔一基で2000t以上の重量(駆逐艦一隻の排水量に匹敵)と、何もかも桁外れだったんですよ。(←違ってたら誰か突っ込んでね)

館内は、見たことの無い資料、プチヲタとしても全く知らなかった内容が盛りだくさん。

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建造時点で時代の趨勢は航空機に移りつつあり、山本五十六長官は建造に反対していた、という話を聞いたことがありますが、それはさておき当時の最先端技術が惜しみなく投入され、その技術が現代の艦船技術をはじめいろいろなところに活かされている・・・という見せ方をしていました。

きわめてニュートラルな見せ方をしていた広島の記念公園に比べると、若干右っぽい感じがしたかな。まあ博物館の性格上許容範囲、これくらいはアリと思います。

沖縄を目指して海上特攻した大和は、途中で幾度にも渡る米軍機の攻撃を受けて鹿児島沖に沈みますが、その後の海洋調査で、そのさまも分かってきました。海底に眠る大和。その復元模型がありました。

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沈没の瞬間のものすごくリアルなCG動画が見られ、ちょっと胸にくるものがありました。

左舷に集中的に魚雷攻撃を受け、最後はゴロンと転覆。直後火薬庫が大爆発し船体は真っ二つに。2000tの砲塔は転覆した時にごそっと抜け落ちた(丸い穴が船体上にありますよね)んだそうです。

海底から引き上げられたものの展示も。

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対空機関砲の薬きょうと靴です。

展示室の最後の方には、乗員の家族への遺書、そして3000名にのぼる戦死者の名前が出身都道府県ごとに刻まれていました。

遺書を記したパネルには泣けましたね。

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現代の自分達とは異なる思想、教育を受けてきた人たち。それを反省しつつ絶望的な戦いに赴いていったんですね。頭が下がるというか、日本はここまで復興、発展したんですよ、と伝えたくなりました。

祖父が戦時中に南方ではなく満州に行っていて、その後ソ連軍に拘束され終戦後しばらくたって帰還したんですよ。戦場の話は子供の頃よく爺ちゃんから聞きました。子供心に悲惨なものだな、と思ったものです。

【追記】 このセリフ、映画「男たちの大和」の中で長嶋一茂演じる仕官が部下たちに語っていました。旅行後に映画を再度見てこのセリフを聞いてすぐにピンと来ました。感動もひとしお。

 

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コメント

フランカーさん、こんにちは。
展示されている大和の大きさがわからなくても、トップや
3枚目の写真を見て精巧に作られていることがよーくわかりました。
で、26m以上というのがすごいですね!
端から端まで歩いてみるのもじっくり見てると時間がかかるでしょうね。
泳いでみましたか?^^
身近な家族から戦争や戦場についてのお話を聞いて、小さな胸に響いたでしょう。平和な今の世の中では考えられないけど、そういうときがあったんだなってことを知って考えることも大事ですね。

投稿: Lovepan | 2008年8月28日 (木) 16:21

こんにちわ^^。
戦争の話を聞くと、息苦しくなってしまいます。
ウチの実家の母は、終戦日のお昼ご飯は必ず「すいとん」を作ります。
当時のすいとんとは全然違って色々と具が入っていますが、”戦争をしてきたこと・戦争の辛さを忘れてはいけない”、という親から子へのメッセージだと言います。

今の職場には戦時中に育った方がたくさんいらっしゃいます。
先日もある方が、
「国のために死ぬ教育を受けてきたから、早くオトナになって、早く軍に入って国のために役立つことをしたかった。たとえそれが死だとしても、それが当たり前だと思っていた。」
っておっしゃっていました。
怖くなかったの?っって聞いたら全然、、、。って答えはりました。

その方は今では想像できないお話をたくさんしてくれます。
空軍にいた方もいらして「同期のさくら」という歌を歌うと泣いてしまいます。

世界中が平和になるといいなぁ。。と毎日思っています。

投稿: &D | 2008年8月28日 (木) 17:42

フランカーさん、こんばんは
学校のプールより長くて大きな模型ってすごいですね。
フィッシュアイ その大きさが手に取るようにわかります。
私の母の歳の離れた兄・・つまりは私の伯父がゼロ戦の特攻部隊でした。とても聡明でハンサムな伯父はゼロ戦に乗り込んだ時どんな気持ちだったのかな?って子供ながらに涙がでました。片道だけの燃料を積んで飛び立ちます。伯父も「お国のため」って思えたのかな。

おや、こんな所で山本五十六さんのお名前を目にするとは。
祖父が長男以来女の子続きで「次は男だ!!」って決めていた名前が「五十六(いそろく)」。私の母が生まれました

投稿: めい | 2008年8月28日 (木) 19:01

全長26mというのはスゴイですね!
ド迫力です。
大和は、その姿も美しいですね。絶妙のバランスだと思います。
そういった建造物の「船」としての大和は素晴しいの一言ですが、昭和史の中での役割は逆に悲しいものですね。
ちなみに、↓横田基地で米軍の携帯地対空ミサイルを持っている写真とのギャップが、
これまたものスゴイですね(笑)

投稿: YKND | 2008年8月28日 (木) 19:23

最初から、見ていくと大和の大きさや色々なことがよくわかりました。
恥ずかしいことかもしれないけれど、こういうことがあったことは勉強してきたのだけど、、忘れてしまってて。
どの写真も心が痛いです。
フランカーさんが祖父がと言われているのに、
戦場の話は子供の頃よく爺ちゃんから聞きました。子供心に悲惨なものだな、と思ったものです。
と読んだ瞬間、子どもの頃、真剣にお爺様のお話を聞いているフランカーさんが、眼の前に現れたようでした。
お爺様から、フランカーさんへ、フランカーさんから子どもさんへ ちゃんと伝えてあげたフランカーパパは偉いです!
大人の社会科みたいで、勉強になりました。忘れてはいけないことを、考えさせてもらえました。

投稿: brin | 2008年8月28日 (木) 20:30

こんばんは。
フランカーさんが来る前に行きたかったのに、
行けなかった大和ミュージアムだぁ。
毎日、通勤で横を通っていますがなかなか行けないなぁ。

少年時代は、何も考えずに大和の模型を作って喜んでいましたが、
大人になって大和の最後のことを知るといろいろと考えさせられてしまいます。

平和な世の中に生まれて良かったです。。。

投稿: rsk | 2008年8月28日 (木) 20:37

コメントお久しぶりです
こんにちは、フランカーさん。

横田・広島・大和ミュージアム、行った気になって読ませていただきました。
そして、ほんとに行きたくなりました~!
特に広島には一度も行ったことがないので、
来年あたりにいけたらなぁとまじめに考えておりますよ!(inspire!)
それにしても、ラストの「進歩のないものは・・・」
読みました、グッときました。

投稿: バニ | 2008年8月29日 (金) 08:24

>Lovepanさん
模型マニアの人から見ると素晴らしい出来栄えなんだと思いますよ。実はこれ、軍事秘密のため不明だったディテールが分かってくるにつれ、少しずつ改修してよりリアリティを高めているんだそうです。館側のものすごいこだわりが伺えます。
26mも泳げないかもしれませんが(涙)、70年くらい前にこんなすごいものを作り上げた気概は、やっぱりすごいと素直に感嘆しました。


>&Dたん
メリハリの利いた純粋なコメントをありがとう
思想の教育ってのは怖いものだなって今振り返ると思うけれど、それが普通だった時代がほんの2,3世代前にあったわけで。大国間の戦争はもうないと思うけれど、火種な地域ってにはいつもありますからねぇ。。横田基地ではしゃいできてなんですが、この手のものはそれがあるために戦争にならない、というプレゼンスのみのため、であって欲しいものです。


>めいさん
身近にそういう人がいると、他人事とは思えないでしょうね。お母さんの胸の中ではずっとかっこいい若いお兄さんなんだろうなあ。
生還を期す前提ながら特攻以上の地獄とされた任務があったことをご存知ですか?特攻の戦果を見届けて帰還、報告する「戦果確認機」というものです。「戦果確認機」でググって上の方に出る「帰らぬ友よ」というコラムを是非読んでみて下さい。
これ、偶然この夏手に取った戦記マンガに描かれていて、涙腺壊れましたよ。。

※ネットにある「竜一」という名前は「勝一」の誤植と思います。また、勝ちゃんは一ちゃんを見届ける際、大野少佐がなぜ被弾したのかを悟ります。散っていく同胞を高空でただ見届けるだけということが出来ず、特攻機を迎撃にきた敵戦闘機に交戦をしかけたからです。勝ちゃんも敵機を蹴散らし、一ちゃんを見送ります。
・・・・というコラムにはないエピソードを踏まえて読んでみて下さい。


>YKNDさん
1,2mくらいのサイズの模型なら横須賀の「三笠」の中などでも見かけたことがありますが、このサイズにはビックリです。同じ量の鉄で飛行機を作った方が戦力としては良い判断だったのかもしれませんが、当時の日本人の心の象徴という意味ではこの巨大戦艦はやはり不可欠なものだったのかなあと思ったりもしました。
望遠でディテールを切り取りたかったのですが子供が夢中で先へ先へと行ってしまい、断念しました(^^; そうですねえ横田の展示物が使われませんように、と願うだけですよ


>brinさん
んー、子供のうちは戦艦とか戦闘機はかっこいい!ってイメージしかないかもしれませんが、その役割や過去の実戦での兵器のありようとか、少しずつ分かってくれればいいなって思いますね。ずらっと並んだ戦死者の名簿、頭が下がる思いでした。
大人にとっても、ほんと、いい勉強が出来る博物館でしたよ。また訪れてみたいです。brinさんも機会があれば是非。


>rskさん
てつのくじらを全部収めるならフィッシュアイを是非(笑)。
ってのはともかく、容赦ない猛攻を浴びる大和のCG(DVD化して欲しいくらい出来がいいです。CG動画はビデオ撮影不可とのこと)を見ると正直もうやめてくれ、って気すらしました。
一つ一つの展示の説明が実に詳細なので、じっくり時間をかけて読まれることをお勧めします。ちょっとそれが出来なかったのが悔やまれる。。
群馬県人としては「赤城」の模型の前で記念写真撮ってきました。


>バニさん
広島はいいところですよ、機会があれば是非♪大人向けの平和学習という意味でも良い施設がたくさんあります。
ラストの遺書の展示はねぇ、散々悲惨な歴史を順路に沿ってみてきた上でコレですから、泣けましたよ。。。
当時の思想がどうであれ、こう思って戦い、当時の日本の象徴と運命を共にした(そうするしかなかった)ということに対しては、本当に頭が下がるというか冥福を祈るしかないという気持ちでいっぱいです。

投稿: フランカー | 2008年8月29日 (金) 08:49

やっぱりここは外さないと思ってたよ。
突撃乙。
オイラもいずれは訪れてみたいもんです。

余談の余談なんだが、
当時大和の主砲に備わった砲身のライフリングに使われたドイツ製の旋盤が、今も某鉄工所で現役稼働してるそうな。

投稿: VINCO | 2008年8月29日 (金) 18:31

>VINCOタソ
うむ、ここははずしてなるものかって気合入れて行きましたわ。いろいろな手持ちレンズを試せて被写体としても面白いよ。ここ見終わったら望遠付けてアレイからすこじまに行くべし。
ドイツ製の主砲というとラインメタルかな?ウィキを当たってみたけど大和との関連性までは分からなかったっす。

投稿: フランカー | 2008年8月29日 (金) 21:33

第一次から第二次大戦にかけて
日本は世界有数の巨艦保有国だったというけれど
それは日本が他国よりがんばったのではなく
他国が巨艦をもう造らなくなったからなんだよね。

大和が東シナ海で発見された時のニュースは今でもよく覚えてます。
日本の戦艦が沈んでることは
けっこう前からそこを漁場とする漁師たちに知られていたようだけど
深海調査艇が船首に菊の御紋を発見して
それが大和であることが証明された、という話だった。
数年後に一連のドキュメントをNHKが映像化していたので
もしかしたら大和ミュージアムで放映されてたCGも
そのときのものかも知れないね。

ところで、今回は「てつのくじら館」には行かなかったんですか?
・・・海自は三尉の守備範囲外だったっけ?

投稿: しのぶ | 2008年8月30日 (土) 02:12

>三佐
大和沈没のCGは俺も例のNHK特集の焼き直しか?とタカをくくっていたんだけどオリジナルだったよ。かなり金のかかった映像で、これをブースの小さいモニターでボタン押すごとに表示させるだけでは惜しいよ!と痛切に思ったくらい。リアリティという面においてNHKを凌駕してた。(NHKのは魚雷がそれを投下した雷撃機を追い越していくのを見てちと萎えた)
てつのくじら館ね、勿論このあと登場する・・けど「掃海」に的を絞った展示は無料施設ということもありまあそれなりでした。想像以上に大和ミュージアムが素晴らしかったのでよしとします。

投稿: フランカー | 2008年9月 1日 (月) 07:50

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